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加藤淳鍼灸院
鹿児島市東谷山1-36-1 フリーダイヤル:0120-706-219(鹿児島市外からは携帯・PHSでかけることができます。)

当院での鍼灸は“気の調節”です。 全身の気の流れを良くしていくと、気づかなかった 体の変化に気がつきます。

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筆者

加藤淳鍼灸院院長:加藤 淳 加藤淳鍼灸院 院長 加藤 淳

プロフィール

1974年生まれ。
明治国際鍼灸大学卒業後、鹿児島にて有川医院院長故有川貞清氏に師事。
鍼灸の起源を追求すべく、「始原東洋医学会」を開催する。
鹿児島や関西にて勉強会を開催し講師を務める。
執筆書籍に「経絡図譜」「新しい鍼灸診療」等がある。

当院が取材受けました!

2011年5月号の新世で当院が取材を受けました。

治療内容、治療方針がわかりやすく紹介されましたので、

初めての方、鍼灸に不安がある方、読んで頂けたら幸いです。

倫理研究所研究員 田中範孝氏と「医倫対談」の画像

新世2011年5月号表紙のキャプチャ画像

新世(しんせい)2011年5月号

治す力はどこにある?⑧ 医倫対談

加藤淳(鍼灸師)

田中範孝(倫理研究所研究員)

今のような医療が発達する以前、人はどのように病気を治療していたのだろう。

「どこを刺激すれば良くなるのかという身体の声を聞いていたのではないか」と若き鍼灸師は言う。鹿児島に開業して六年。

目には見えない信号をキャッチするという点で、純粋倫理とも通底する治療の場を訪ねた。

「気」の滞りを解消すれば身体は自然に快方へ向かう

田中範孝 :大学生のときに鍼灸を一生の仕事にしようと決意されたそうですね。

加藤淳 :もともと鍼灸師を志していたわけではないんです。鍼灸大学へ入ったのも、ラグビーをしていたので、スポーツトレーナーみたいな仕事でもいいかなと。

そもそも鍼自体、恐かったんですよ。子供の頃から注射は大の苦手でした。

田中 :それは正常な感覚だと思います。鍼が好きな方が変かなと(笑)。

加藤 :大学一年の頃、痔になってたんですね。外科医でおしりを見せるのも恥ずかしいので、鍼に詳しい先輩に頼んで、治療してもらいました。授業では鍼は内痔核疾患にも有効と習いましたから、どれだけ効くのか試してみたい気持ちもあったんです。

治療中は鍼が効いている感じもなく、ああ、こんなものかと思いました。そのあと家で寝ていたら、おもらしをしたような感覚で目が覚めた。痔が破裂していて、そのまま消えてなくなっちゃったんです。驚きましたね。

田中 :自らの体が実験台だったわけですね。その劇的な体験があったから、鍼の恐い先生が自分でもやってみようと思った。

加藤 :体験を通して(これは普通じゃないな)と。明らかに効く。ちょっとした刺激でも体がへんかして、体が良い方向に向いているのがわかる。面白いな、自分もこういう治療をしてみたいなと思って、先輩と一緒に勉強会に参加するようになりました。そこでは刺さない鍼が主流で、鍼は刺すものだけじゃないと教わりました。

田中 :刺さないというのは、触れるということですか。

加藤 :そうです。てい鍼という。ツボに鍼を宛てる。ツボを刺激するだけで効果はあるんです。これは自分に合っているなと。

田中 :今も先生は刺さない鍼ですか。

加藤 :今は刺す鍼と刺さない鍼の両方を使い分けています。刺されるのは相変わらず恐いですけど。ひどいですね(笑)。

どこを刺激してほしのか体の声に耳を傾ける

田中 :大学を出てから、鍼灸師として整形外科や外科に勤める傍ら、有川貞清という先生に師事されていたと聞きました。

有川先生は特異な存在だったようですね。外科医でありながら、東洋医学の世界で権威となられた。有川先生との出会いが大きな分水嶺になったんでしょうね。

加藤 :はい。今まさにこの仕事をしていること自体、先生のおかげですね。

田中 :加藤先生は「体の声を聞く」ことの治療を柱に掲げています。「印知(いんち)」という感覚を使うそうですが、その言葉について教えていただけますか。

田中 :有川先生の提唱した始原東洋医学では「気滞(きたい)」といって、体の中の気の滞りを察知して、鍼や灸を使ってその気滞を消すように治療を行います。

その、目には見えない気の滞りを探るのが「印知(いんち)」という感覚で、五感よりもっと原始的な感覚で捉えるんですね。

なぜ目に見えない気の流れがわかるのか?「身体がそういっているから」としか答えられません。

田中 :原始的とは?

加藤 :たとえば、渡り鳥が方位を間違えずに飛べたり、サケが生まれた川に帰ってくるのは、頭で考えるものじゃないですよね。言葉ではなかなか説明しづらいんですが、もともと動物が持っている本能のような感覚です。

だから、なぜそこが気滞かと言われても、説明できないんですね。触った感じがどうとか、見た目がどうとかじゃない。「身体がそこを刺激してほしいと言ってるから」としか言えない。

田中 :なるほど、そういう気の流れをキャッチする、感じ取ることが「身体の声を聞く」ということなのですね。

加藤 :だから、病気ごとに決まったツボを使うわけではないんです。どこに刺激して欲しいのか、身体に聞く。同じ患者さんでも、毎回場所は変わったりします。

田中 :印知は訓練で獲得できるそうですが、どんな訓練をするんですか。

加藤 :僕がしたのは、小学校の理科の実験で使う豆電球と電池で、電流を指で追うような練習をしました。あとは自分の身体で確かめたり。または実際の治療の中で開発されたという感じですね。

田中 :同じ症状でも気の流れは違うとなると、先陣観も捨てなきゃいけないですね。経験や知識に頼ってしまうと、新しい感覚を阻害してしまうこともあるでしょう?

加藤 :そこが難しいところですね。有川先生にもよく「頭を使うな」と言われました。大脳皮質で考えるな、と。

田中 :純粋倫理の世界でも同じようなことが言えます。人様の相談にのるときには無心で聞く。かつて同じような症例の人がこうだったからこの人も…とあてはめて頭で考えていくんじゃなくて、むしろ、「考えるな」と言われます。

加藤 :通じるものがあるかもしれません。病気を見るんじゃなくて、その人を見て出てくる言葉がある。

もちろん経験も参考になるんですよ。使うツボは違っても、「この病気は治るまで一ヶ月くらいかかる」と予後の目安があったほうが、患者さんも自分も安心できますから。でも、それくらいですね。むしろ知識が邪魔になることも多いですね。

田中 :先生に初めてお会いしたのは、昨年の人体科学でした。その時の発表が「トイレ介助が二人から一人になったパーキンソン病患者の症例」というテーマでした。先生にとって衝撃的な事例のひとつのようですね。

加藤 :パーキンソン病の方はこれまで何度か治療させてもらう機会がありました。振戦(しんせん:ふるえ)のあった人が、反応点(気の滞っている場所)に刺激すると、ピタッと止まったりする。今回症例として発表した方は、かなり進行していて、日常生活は車椅子とベッドの上、二人がかりの介助を必要とされていました。

<自分が治している>と思ったら身がもたない。治しているのは患者さん自身の身体です。

最初は不安でしたが、反応点を正確に刺激することで、ひと月で顕著な効果が見られました。寝ているときは曲がったままだった膝が伸びて、調子が良いときは一人介助で歩けるようになって。ここまで劇的に変わるのは初めての体験でした。

もちろん、治療だけじゃなく、自宅での施灸や関節の運動を続けたご家族の献身的な支えがあったからこその効果だと思います。すごくいいご家族なんですよ。

田中 :それは大事な要素ですよね。

リウマチに表れた病からのメッセージ

田中 :鹿児島にKさんという女性がいます。熱心に倫理を学び、実践されながら、四年半前に発症したリウマチが快癒されました。

また、Kさんは有川先生に漢方治療を受け、加藤先生の鍼治療も受けておられた。リウマチが治癒した陰には、その東洋医学の力があったのだろうと思います。倫理と医療の両面から心身の浄化作用がはたらいた結果だろうと。

私がお会いしたとき、Kさんはご夫婦の問題を抱えておられました。夫婦仲がよくない。外出するときも、すんなりと夫に言えない。緊張して身構えてしまう。

構えるというのは、まさにリウマチの症状と一致するんですね。関節が腫れ、手足が強張ってしまう。ここのところ何かピンとくるものがあって、詳しく話を伺うと、Kさんはもともとお父様に強い恐れを感じていたそうでした。お父さんが毎晩酒を飲んで、お膳をひっくり返したり、お母さんに暴力をふるったりしたという。

その父親に対する拭いきれない思いが結婚後の夫に重なって、夫に恐さを感じてしまうのではないか。リウマチという症状が、今は亡きお父さんともう一度親子の関係を取り戻すことを教えてくれたのかなと、Kさんの話を聞いて思ったんです。

先生が掲げておられる「身体の声を聞く」というのは、そのあたりとも通じる部分がありそうですが、どうでしょう。

加藤 :たしかに、その方の心の中にあるものが変わることで、気の流れも変わってくることはあるように思います。気の滞りが解消されて、身体に作用するという。

だた、それ以上のことはわからないというか、治療者としては、気の流れを良くするだけで、原因を探るところまではなかなか踏み込めません。有川先生も「心の中まではわからん」と言われていました。気の流れさえよくなれば、身体は自然治癒の方向に向かうから、と。

田中 :なるほど、自分ができるのはそれだけだという。わかる気がします。踏み込んでいけない領域があるんでしょうし、そこをきっちり守っていくところに、医療者としての倫理があるんでしょう。

純粋倫理の生活倫理相談においても、その人がよくなると<私が導いてやったんだ>というところが出てきがちです。でもそれはやっぱり違うんですよね。その人の本来持っている力を引き出すおて伝いをさせていただいた、というのが本当だろうと思います。

加藤 :以前、有川先生のところにいたとき、<これは身がもたないな>と思ったんです。先生のところに来る患者さんは重症の方が多くて、すがるような思いで来られる。とても思いを受け止めきれない。

でも、あるとき先生から「治る力、自然治癒力があるから、それを正常にもっていくだけ。自分が治してるんじゃない」という話を聞いたとき、少し楽になったんです。<自分が治している>と思ったら身が持たないけれど、<治してるのは患者自身の身体だ>って思ったときに、すごく気持ちが楽になったんですね。

いま自分が行っている治療も、気の流れをいい方向にもって行くだけで、治るか治らないかは患者さんの身体が決めることだという感じがします。

田中 :そういう謙虚さは大事ですよね。開業していろんな経験を積まれて、治療術も身につけられて、それが自信にもなっておられるようでしょうけど、同時に、初々しい感覚を持ち続けているところがすばらしい。どうぞ、ますます東洋医学を究めてすばらしい医療者になっていかれますよう願っております。

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