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加藤淳鍼灸院
鹿児島市東谷山1-36-1 フリーダイヤル:0120-706-219(鹿児島市外からは携帯・PHSでかけることができます。)

当院での鍼灸は“気の調節”です。 全身の気の流れを良くしていくと、気づかなかった 体の変化に気がつきます。

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理念 最終話

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理念 最終話

3ヶ月経ち始めて足の指が1本動いた。
1度も諦めることなく、想い続けた願いが形に変わった瞬間だった。
1つの達成感はあったが、本人は十分に満足してなかった。
現状は目と足の指1本だ。
しかし、これを機にもう少しいけるだろうという希望が
心の底で芽生えていた。
その一方で、現実は厳しく40℃近い高熱が何度となく出て
体調の優れない日々が続いた。
病院は解熱させようとするが、身体が熱を出したい意味がある
と思い、看護婦が解熱剤を使おうとすると毎回拒んだ。
声もろくに出ない状態で必死にもがいて抵抗していると
医師も本人の希望に従って解熱剤を使わないこともあった。
それから、顔の手術はとても難しいもので京都の病院では
厳しいと判断し、東京に送られることになった。
東京に移り、顔の整復手術は成功した。
その頃には、足の親指しか動かなかった身体も
徐々に動くようになっていった。
PTさんには、自らが作ったリハビリメニューで
やり過ぎていないかのストップをかけてもらうようにしていた。
というのも、神経が正常でないため、筋肉の疲労が自分では
感じられず、限界の判断できなかったからだ。
そうやって訓練していると、頸髄損傷で回復している人がいる
という噂が広まり他の病院から病院関係者が見学に来るようになっていた。
みんな、カルテを確認し病名を確かめていた。
事故してから7ヶ月後には京都で大学の同級生の卒業式があった。
お祝いとお世話になったお礼がいいたくて駆けつけた。
この時は、既に装具で足を固定し、両松葉杖を使って立位で歩行していた。
というから驚きである。
ついでに、最初に入院した病院に挨拶に行くと担当医は本人と気がつかず、
看護婦さんがカルテを持って来て初めて「あっ、!」といい
珍しいものでもみるような目で何度も全身を眺めていた。
京都に入院している時は、ベッドで横になっているか車椅子だったので
目線の位置がずいぶん違うから認識できなかったのだろうか?
と本人は当時を振り返っていた。
その後、ご自身は復学されて卒業し、教員の資格を取得され、教師として
20年位過ごし、現在は大学で教鞭をふるっている。
見た感じでは、片方の松葉杖はついていられるが、
普通に歩いているし、文字も綺麗に書ける。
身体は股割りして顔、胸、お腹がぴったりと地面にくっつく程柔らかい。
しかし、本人は現在でも痙性麻痺があるので
以前の方が柔らかかったという。
「もの凄い回復ですね。」と話すと
「いや、自分では、この松葉杖を取ってまだ走れるんじゃないか。
って思うんですよ。」
とこちらが単純にすげーって思ってしまうことを
また、さらっと言ってのける。
でも、先生はどうしてこんなに回復できると信じて
1度も諦めることなく、過ごしてきたのだろうか?
とても、気になり質問してみた。

「先生自身は、現状でも満足されていないかも知れませんが
医学的な常識もありながら、現状を把握していたのに、
ご自身ではどうしてここまで回復されたと思いますか?」

少し、間をおいて次のように一言言われた。

「結局、人間の限界は自分が決めているんでしょうね。」

この言葉が僕の心の奥にズシーンと響いた。

人間の限界を決めない生き方がしたい。

そんな、鍼灸院を目指そうと決めた。

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